はじめに
こんにちは、Burdonです。最近報じられたフジテレビ関連の件を通じて、改めて「企業文化としての飲み会」について考えるきっかけを得ました。今回のテーマは、単なるスキャンダルの話ではなく、今もなお残る“旧態依然とした飲み会文化”に対する問題提起です。
仕事と酒がなぜここまで密接に絡み合ってきたのか。もう一度立ち止まって見つめ直すべき時期が来ていると、私は感じています。
企業文化に残る「飲み会神話」
多くの企業では、いまだに飲み会が「仕事の一環」として半ば義務化されています。新人歓迎会、打ち上げ、忘年会、新年会──理由をつけては定期的に開催され、出席が暗黙の了解になっているケースも少なくありません。
確かに、仲間同士の親睦や情報共有を目的として開催される面は否定しません。しかしそれが“酒の席でなければできない”のかと問われると、首をかしげたくなるのが本音です。
とりわけ、アナウンサーを“接待”要員として連れていくような構図は、もはや時代錯誤と言わざるを得ません。
「お酒ありき」の接待文化がもたらす歪み
お酒の席で本音が聞ける。お酒の席で距離が縮まる。そんな風に語られることも多いですが、私にはまったくピンと来ません。
なぜなら、酔った状態で交わされた会話や約束にどれだけの信頼性があるのでしょうか?ビジネスは本来、冷静な判断と正確な情報の共有がベースであるべきだと思っています。
それに、飲みの席に参加できない人たちは、コストを負担するだけで何も得られないという理不尽さも感じます。飲みに使う経費で、別の福利厚生や教育資金に充てた方が、社員全体のためになるのではないでしょうか。
たとえば、社外の知識共有の機会としては、早い者勝ち!参加費無料のマネーセミナーなど、実用的かつ自発的に参加できる場の方がよほど価値があると思います。
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時代にそぐわない飲み会の在り方
実は私の会社でも、“会社主催の飲み会は一切行わない”というスタンスを貫いています。新年会は例外的に1回だけ食事会形式で開催しますが、それ以外は個人の自由。
飲みに行きたい人は行けばいい。ただし、それを“仕事”の一環にすり替えてはいけません。
飲み会での失敗談──酔って暴言を吐く、セクハラ行為、タクシーでのトラブル──これらは決して稀な話ではありません。大手企業でさえ、接待名目で不適切な場所に同行したなんて話も未だに耳にします。
“時代に取り残された働き方”の象徴、それが今の飲み会文化です。
代替案としての「ランチ会」と情報共有の場
もちろん、人間関係の構築やコミュニケーションの場が不要だとは思いません。問題はその“手段”が一辺倒すぎること。
たとえばランチミーティングなら、時間もコストも抑えられ、全員が等しく参加しやすい。お酒を無理に勧められる心配もなく、本音の意見交換だって可能です。
「お酒を飲まないと分かり合えない」──そんな幻想から、そろそろ解放されるべき時代に入ったのではないでしょうか。
まとめ
- フジテレビ問題から見える旧態依然とした飲み会文化の課題
- “仕事での飲酒”はリスクと不透明性をはらむ
- 飲み会の経費は公平性を欠き、非効率なコストになりがち
- 代替手段としてランチ会などが有効な場になる
- 企業は“飲まない文化”を導入することが新しい働き方への一歩
おわりに
今回取り上げた件を通じて、飲み会という文化に対して私なりの意見を改めて綴りました。もちろん、お酒自体を否定するつもりはありません。大切なのは、それが“強制的な文化”として押し付けられていないかということ。
仕事は冷静に、誠実に向き合うもの。コミュニケーションの質を問うなら、むしろお酒に頼らない方がよほど健全です。
福利厚生の一環として、社員全体に公平な資産形成機会を提供する選択肢としては、低リスクで始める資産運用!なども視野に入れてみてはいかがでしょうか。
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最後まで読んでくださりありがとうございました。それでは、また次回。







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